ナオミ日記

園便り 平成28年3月

2016. 3.11

ナオミ保育園3.11の学びを

この時期になると、東日本大震災に関する報道が多くなります。「あの時を忘れない」3・11保育園の体験を子ども達や職員に語り継ぐナオミの3月です。
2011年3月11日ナオミ保育園は、幼児組がお別れ遠足で子どもの国へと出かけていました。
午後2時46分地震発生の直前こばとさんは遠足から保育園に帰園し着替え中でした。保育園内のひよこさんからこすずめさんは午睡明けの状態その時地震が発生。
直後の揺れ状況から避難を判断、園庭中央に集合し全体の安全確保。外は寒く着替えの途中だったこばとさんは防寒をして、ひよこさんこりすさんはワゴン車にのって揺れが収まるのを待ちました。2度目の揺れが収まって地震の情報を入手し大人は次の行動を確認して各クラスに戻り、すぐに避難が出来る状態で子ども達はおやつを取らせました。

一方、遠足の帰路に着いたであろうゆりさんすみれさん。地震時ゆりさんは電車の中、すみれさんは子どもの国駅で電車に乗車した時でした。
電車情報を入手に尾山台駅に走り、電車の横転事故は無かったかを聞きしばらくたって電車は直後に全車両止まり乗客の安全確保、乗客は電車から降りて移動中との事、ゆりさんの安全は確保されている事を確認。その後ゆりさんは高津警察署のロビーに避難して暖をとらせてもらっていました。
混線して連絡が取れないすみれさんから「子どもの国で乗車時に地震発生、避難し近くのスーパーの空きスペースで暖をとらせてもらっている」との報告、胸をなでおろした瞬間でした。
子どもたちの安全確認は取れましたが、帰園するまで長時間を要しました。もちろん園にいる子どもたちのお迎えも遅い時間になりましたが、避難食の準備、食料の確保は多くの職員で分担し子どもたちに不安を与えることなくお迎えまでの時間を過ごすことが出来たことは何よりでした。夜間に世田谷区から車が出動しゆりさん、すみれさんが迎えられ帰園しました。
そんな体験からナオミ保育園では遠出の遠足時の持ち物に避難物資(水、暖房用シート、非常食等)を持参しています。また避難箇所を数か所決めて、その時の居場所によって避難場所が確定できるようにしました。

どこにいようと何時であろうと地震は起こります。子どもたちの毎月の避難訓練は、どこにいようと何時であろうと避難が出来る。危機管理ができる子どもに育ってほしい、また保育園もいつでもどこでも緊急に対応できる職員でありたいと思っています。いのちを預かる保育園です。瞬時の判断と行動がいのちの境界線になります。一人ひとりの判断力・行動力を日頃から磨いておく事が求められます。


NO4 ナオミ保育園病後児保育室「バンビ」は50歳になります。

新園舎での病後児保育は父母の共済費と、バザー収入、物品販売などが運営の費用になっていました。安定した運営に向けて、行政に対して公費助成の運動が続いていきます。
そんな中でもバンビを利用する子どもたちは、園内にあることが安心となって、「バンビさん行ってるね」とバンビの庭から担任を見つけると自ら報告したり、バンビ利用時でも元気な子はクラスの保育に合流する等、園内にあることが、子どもたちの安心に繋がっていました。また新年度慣れない子どもを預かる時にはクラス保育士の援助がありました。

「病児は親が家庭で見る」を貫いてきた東京都も延長保育や0歳児保育の充実の次に病児保育を検討課題として挙げるようになった1991年。日本経済新聞は次のように書いています。「子どもを抱えて働くということは…様々な不確定要因を抱えることもある。まず職場や社会がその実情を理解することが大切。そのうえで、働かざるを得ない人のために親子が安心して利用できる病児保育制度を利用するのが望ましい」と記しています。
ナオミ保育園病後児保育は2009年公費助成を得て、他園児も受け入れる(オープン化)形態となりました。地域の方々からも頼りにされる存在です。今年50年目を迎えました。完

11月26日(土)バンビの50歳をお祝いします